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特集記事アーカイヴ Issue 2001.05-06

表現系ゲイの極私的なリーディング体験をアトランダムに

TEXT: ますだいっこう

雑誌アメリカン・ブックジャム(ABJ)をたまたま買わなければ、表現系ゲイとしてポエトリー・リーディングに関わっている今の僕は、たぶんいなかったと思う。30歳を過ぎてからの出会いは必然らしいけど、ま、そんな感じ。 創刊号で、興味津々なゲイ・マルチアーティスト、デイヴィッド・ヴォナロヴィッチのことに触れられてて、それがキッカケで編集部とメール交換するようになり、初めてのリーディングに足を運んだ。それが1997年夏、赤坂ハックルベリーでのイベント。

シャロン・メズマー&カオリンタウミ、それにオープンマイク。初体験としてはとてもステキな顔ぶれだったな。もちろんその時はまだオーディエンスの一人だったけど、言葉の持つ力と可能性とに直で触れられた。読み手でカワグチタケシさんも参加していて、僕はこの時、彼に一目惚れ(笑)。

その年の秋に高田馬場ベンズカフェで、ABJが毎月リーディングイベントを開催するようになった。そこで初めてリーディングしたのは、ヴォナロヴィッチ作『螺旋』のラスト。あんまり練習もしないでマイクの前に立ったから、聴衆の反応はイマイチだったけど、本人的には味をしめた第一歩だった。

そのうち、自分のテキストをリーディングしたいという欲が出てきた。バロウズの『おかま』を読んでもみたけど、他人のテキストじゃ、やっぱり自分が表現したいことと距離がある気がしたから。いや、単純なきっかけはこうだ。1998年春の月例イベントで、みんながテキストを200部コピーして持ち寄り、それをその場で製本してジンを作ってリーディングする、という企画があった。そうなったら、自分のテキストを残さなきゃ! と、意気込んだのだ。

イースターにちなんで「たまご」がお題。ひねくれた僕が書き上げたのが『for all f*ckin' true lovers』。国語の授業で嫌々書いて以来の、詩らしきものだった。

僕はもともと詩、特にテキストとしての詩にはあんまり興味がなくて、パフォーマンス、スポークンワードとしての詩に惹かれて、リーディングに足を運ぶようになった。だから、自分から詩を書く行為とは普段は無縁で、読むのも知合いの詩人たちの作品をふと思いついて目を通すくらい。ABJスタッフに紹介してもらったカワグチさんを前に「アタシ、詩には興味ないのよ」と、初対面で口走ったりしたほどだ。いくらアルコールが入ってたからとはいえ、詩人に対して失礼よねぇ…。

その後は、ちょうどリーディング・シーンもだんだん盛上がりをみせてきて、ベンズカフェのほか数カ所だけだったリーディングも、あちこちで開かれるようになった。僕も声をかけてもらったり、何かのきっかけで、特に積極的ではないにせよ、読ませてもらったり聞きに行くようになった。 鎌田幸樹くん・吉川ノブくんが開催していた「INTO THE DEEP」。1998年夏の阿佐ヶ谷まんぼ亭は、ウナギの寝床状態の店でアングラ感たっぷりの夜。1999年初夏の青山ヌードラウンジは、夕暮れのテラスが心地よかった。詩とともに場所としての印象も深い。プラス、危なげな雰囲気もちょっと懐かしく思える。

そうやって読んでいるうちに自作テキストがようやく4篇になった頃。西荻窪ハートランドの斉木さんからお誘いを受け、2000年2月に初めて4人のグループリーディングに参加した。これまではフライヤーや告知に名前が載るような形じゃなかったから、さすがに緊張した。この時、西荻をテーマにした詩を書こうと四苦八苦してるうちに出来上がったのが『GO WEST』。町とはな〜んの関係もないテキストになってしまったけど、表現系ゲイって看板をあげて読んだり書いたりしてる作業の、ひとつの到達点なのかな、って思える作品。つうか、その後の詩がさっぱり書けないのよ、ハァ。

それにしても、この『GO WEST』はあちこちで読みまくったな。2000年8月にあった、ゲイ関係のリーディングイベントでも読めて、それは素直に嬉しい体験だった。

その一つが、僕がよく飲みに行く新宿二丁目のゲイバー・タックスノットでこっそり行われたリーディング。読み手は僕のほか、ここのマスターで造形作家/ライターである大塚隆史さん、売春夫/ドラァグクイーン/アーティストのハスラー・アキラくん。二人とも表現系ゲイとして、リスペクトする人たちだ。

このバーは、細長いカウンター席がうまると、あとは立ってグラスを傾けることになる小ぢんまりしたスペース。リーダーはバーのママよろしくカウンターの中に入って読むことになった。バーカウンター・リーディングってワケ。だから座ってるお客さんはすぐ目の前で、カフェやブックストアでのリーディングとは違った緊張感があったな。

最初に大塚さんが、ゲイや新宿二丁目を温かな視線でつづった自著『二丁目からウロコ』の一節をリーディングした。オカマならではの芝居がかった大仰な恋愛エピソード。いつもより少しハイトーンな声で読み上げられるテキストは、活字を目で追うのとはまた別の印象。みんなしてお話に耳を傾けるようなシチュエーションで、心がホンワカゆるまる。

二番手の僕は、ヴォナロヴィッチのテキストと『GO WEST』などを。

ラストは、ハスラー・アキラくん。彼が出版した『売男日記』をほぼ丸ごとリーディング。この本はお客やパートナーとのセックスから湧いてくるイメージを、シンプルな言葉と写真で構成した一冊。僕の愛読書だ。  淡々とした口調でアキラくんが読み始める。マッチョなボディから静かに発せられる声。オーバーアクションも絶叫もない。ただ積み重なっていくだけの言葉が次第にメッセージを紡ぎだす。彼が読み終える頃、ゲイバーは、ほんのりほてった《詩のある場所》になっていた。

その時、アキラくんにお願いして、彼が主催するワタリウム美術館での「POETRY READING NIGHT」にも飛び入り参加させてもらうことにした。それはドラァグクイーンを中心に、さまざまなパフォーマーが集まった朗読会。さほど広くないミュージアムの展示スぺースにはギュウ詰めの観客が集まった。一年間にわたる笑いと涙のゲイライフ日記を読み上げたおかまアーティスト、G.O.リボリューション。HIV感染者としての濃密なテキストを、土方や看護婦の姿でパフォーマンスしたピンクベア/ベアリーヌ。この二人やメロディアス(ハスラー・アキラくんのドラァグ名ね)などは、普段のショーにもリーディングを取り入れてるそうだ。僕はいつも見逃してばかりだけど(ゴメンね)。

もちろん、これ以外のパフォーマンスも圧倒的。コルセットの窮屈さにジェンダーの不自由さをこめたホッシー。恋に落ちたマン毛姫の寓話を感動のリップシンクへと展開させたオナン・スペルマーメイド。言葉そのものの在り方を問い、ストリッパー芸の花電車よろしくアナルから伸びる万国旗に希望を託したマーガレット…。

いつものクラブイベントやゲイナイトでは、豪華な、時に場末なリップシンクやダンスなどのショーを見せてくれる彼/彼女ら。その夜はあくまで《言葉》にこだわって舞台に立ってた。それぞれの個性と芸風が描く色鮮やかな物語の数々。それは、その翌日、数年振りに復活した東京でのゲイ・パレードを祝福するものだったかもしれない。僕が黒革姿で読んだ『GO WEST』(またしても!)にも、そんな気持ちがちょこっと込められていた。

2001年2月には、”リーディングを含めたゲイのパフォーマンスをぜひ”とのお話を、詩人のマサ・ホシノ・ハルさんからもらって、神田にある美学校で「ますだいっこうmeetsデイヴィッド・ヴォナロヴィッチ」というイベントをやらせてもらった。既に他界しているゲイ・マルチアーティストを、テキストのリーディングと主なアート作品のスライド上映で紹介するものだ。

テキスト作品で取り上げたのは『螺旋』。末期エイズ患者やゲイセックスの赤裸々な描写に、硬質な透明感が漂う代表的な短編だ。そのほぼ全編を通して読んでみた。インクの臭いが残る美術学校の一室は、場の雰囲気が独特。僕自身のリーディングがちょっとお恥ずかしい出来で残念だったけど、作品をまとまった形で聞いてもらえたことは、感慨深かった。思い返せば、ベンズカフェで初めて読んだのもこの作品だったし。

4月・5月には、リーディングを始めた当初から僕のテキストを気に入ってくれてる佐藤わこさんの主催で、ついに! カワグチタケシさんと二人でリーディングしたり、京都ツア−に出かけたり。この夏二度目のウエノ・ポエトリカン・ジャムも、ゲイ・パレードとバッティングしないみたいで、楽しみだわ。

この機会に、リーディングで出会った詩人たちからもらった数々の《言葉》に深謝合掌。表現系ゲイとして、それ以上でもそれ以下でもないゲイである自分を受け入れて、詩を書いたり読んだりする。そんな風にぼつぼつと考えられるようになったのは、やはり《詩のある場所》のお蔭でもあるから。


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